Kenの研鑽~日々の内省ログ~

思いを言葉にし、知らない自分に出会う。

土俵とウチワの心持ち

「心持ち」というのは自分次第で、変えられるものだと思っています。そしてそれには、時間を有意義に使えるかどうかがかかっていると考えています。

 

私独自のイメージですけど、心には心が活動できるスペースみたいなのがあって、私はこれをワーキングフィールドと勝手に呼んでいます。ワーキングフィールドは落ち着いて冷静なときは『土俵』のごとく広くて、ゆったりと仕事や学びができる。成果物も品質良!。でも、物事が思うように上手くいかないとか、突然計画が変更になるとか、イライラすると『ウチワ』のごとく小さくなり、立ってるだけで精一杯みたいな(笑)。いい活動はできません。運よく『ウチワ』の上に立っていることに気づいたら、私は仕事や学習を一旦完全にやめて、マインドフルネス瞑想や自律訓練法などで心を落ち着けます。これでワーキングフィールドが広くなります。一旦活動は止まるのですが、こうした方が断然その後の活動のクオリティが良いし、スピードも速くなるように感じています。

 

今予算の仕事をしているのですが、せっかく出した予算提案、しかも皆で議論をしっかりして決めたのに、あっさりと変更になり。。。しかも修正膨大。そして「修正の納期は明日で。」 みたいなね。いや、分かってるんですよ。予算っていうのはこんなものだと。分かってるんですけど、やっぱりイラっとしますね。もうその時点で頭から湯気を出しながら『ウチワ』の上にプルプルしながら立ってます。今日は即気付いたので、コーヒーを飲みに行きました。デスクに帰って良く考えてみたら、作業量は大したことなくて、2時間くらいでサクッと出来ました。

 

土俵とウチワの心持ち。どっちにするかは自分次第。広くてゆったりのワーキングフィールドで素敵な時間を過ごしたいものです。

 

イライラしたら、とりあえず休憩してみるのもいいかもしれませんね。

  

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ワーキングフィールド

 

ネガティブな受け止め方のクセ

5年位前まで「金メダルじゃなきゃ。銀メダルと予選落ちは同じ」という思考をしていました。今なら分かりますが、そんなわけないです。でも、私にはこんな時期がありました。「ネガティブな受け止め方のクセ」で完璧主義です。

 

カウンセリングの勉強の中では、「認知の歪み」の「全か無か思考」と学びました。これは日常生活のあらゆるところで出てきて、知らず知らずのうちに苦しんでいたんだろうと思います。数年前ですが、カウンセラーの先生のお力もお借りして、自分がそのようなクセをもっているんだなと気づきました。おかげさまで、今では大分気持ちよく生きていけるようになったと思います。長い間、脈々と積み上げられてきた心理学やカウンセリング理論に感心しきりです。。

 

金メダルはもちろんですが、銀メダルとか、どんだけすごい事か。そして大勢の予選通過できなかった方々の努力とか、汗とか。どれだけの思いが込められていることか・・・。想像がつかないほどの経験が詰まっていると思います。それぞれの方の力一杯の努力した時間や人生に思いを馳せつつ、いろんなスポーツ競技を観戦していると、心が熱くなります。そんな風に感じることができるようになりました。本当に感謝感謝。

 

ネガティブな受け止め方のクセは染みついた「癖」なので、すぐに100%無くなることはないんだろうと思います。でも、そういう癖があると知って受け入れられたら、それまでよりも楽しく、充実した時間が過ごせます。だから、幸せを感じる事も増えてきたのかなと思ったりします。一人では気づけないクセ。人に頼ってみてよかった。。。

 

皆さんにもあるかもしれませんよ、ネガティブな受け止め方のクセ。なんだか分からないけど苦しい時は、人に頼ってみるのもいいかも?

 

言葉にすること

言葉にすること。言語化
頭で考えていたこと、思っていたことは、当然自分で分かっていることと思いきや、言葉にしてみるとまた違った気づきがあります。

 

一度外に出して(アウトプット)、外に出たものをもう一度見直す/取り入れる作業をすることが、新しい気づきをもたらすのかなと考えています。

 

昨日はキャリアコンサルタントのお仲間との勉強会で、私にとっては非常に深い学びがありました。情報の共有の中で、「定期面談を実施したら、議事メモを残す。そしてその最後に本人にサマリ(要約)を本人の言葉で書いていただく」ということを実践されているとお聞きしました。私も定期面談はしていますが、よく考えると面談相手のチームメンバーに彼/彼女たちの「感情」や「思い」や「決意」や・・・いろんなことを、本人たちの言葉で残してもらっていないな・・・と思いました。自分の言葉で残して頂くことで、新しい気づきをメンバーの皆が得ることが出来るようになったら、どんなに素敵だろうと・・・。

 

言葉にすることは、新しい気づきを得るチャンス。自分も、チームメンバーの皆にも実践していきたいと強く感じた昨日の勉強会でした。

(これ以外にもいっぱいいっぱい勉強になることがありましたよ)

 

皆さんは思いを言葉にしてみてますか? 言葉にすると違った自分が見えてくるかも。

 

「一瞬一生」

「一瞬一生」という言葉が大好きです。
【生きる力 森田正馬の15の提言】という本で出会いました。もっとも好きな部分がここのところです。 

今の目の前の一瞬に、一生をかける。森田療法の真骨頂は、ここにあります。

種々の悩みはある。しかしそれはさておいて、生きている現時点の瞬間瞬間に、自分の生をつぎ込んで進んでいく。これが「一瞬一生」なのです。

 

出典:帚木蓬生 (2013). 生きる力 森田昌磨の15の提言, 朝日新聞出版, 29.

  

その一瞬一瞬に生をつぎ込んで進んでいく…。私には、一生懸命に一瞬の時間を生きるということに加えて、今この一瞬に集中するというように受け取れます。この一瞬に集中して、この一瞬でしか感じることのできない幸せを感じる。この言葉にこんなふうな思いが湧いてきました。本当にそう有りたいと願う気持ちのせいでしょうか。

 

もう数年前ですが、ある秋の夕暮れに家族で外出から帰宅して車を降りると、さーっと心地よくススキを揺らしながら吹く風につつまれ、夕焼けの金色になった空き地を目の前にした時に、光が身体を貫いたように幸せを感じました。こんな幸せがあるもんだ…。たった1秒の出来事。なぜかあの時、その1秒にものすごく集中していた様に思います。ゾーンに入っているような感覚と似ていたような気がします。

 

今この一瞬。「今ここ」を大切にするカウンセリング理論のいくつかを学んでいる所です。幸せを感じることへの入り口なのかな?と思います。「一瞬一生」。大好きな言葉です。

 

あなたの記憶に強く残る一瞬はどんな一瞬でしたか?

 

なぜカウンセラーになりたかったのだろう

9月にキャリアコンサルタントのオンライン講義を受講することとし申し込みをしました。「経験代謝」に関わる事前課題が出ていて、取り組んでいる所です(経験代謝に対する私の思いはまた別途)。課題やっている時にふと思いました。


「なぜカウンセラーになりたかったのだろう?

 

頭の中を整理してみると、きっかけと主な理由はこんな感じ。

① 尊敬できる産業カウンセラーの先生との出会い。カウンセラーという職業の存在を意識した。
② 子供たちが会社員ではなく教育・介護の道を選んだ。もしかしたら、自分も会社員ではなくもっと直接的に人に関わる仕事がしたかったのではないかと思い始めた。
③ 人のお役に立てる人でありたいと思っている。

もっとあるかもしれないけど、こんなことが重なってセカンドキャリアにはカウンセラーをと心に決めたと思う。この中で③のお役立ちたい部分は、特に自分の自己概念につながる部分。あれ?これなんだっけ?と・・・。内省していくうちに心の中に散らばっていた色々なパーツが組み合わせってきました。

私の中でのお役に立つとは、こういうことのように思えました。

① 相談者の方とカウンセリングをさせて頂くことで、相談者の方の自己概念の成長のお手伝いをしたい。
② 結果として相談者の方のその先の時間が充実した良い時間になることを願っている。
③ そして、充実した時間の中で、相談者の方がより多くの幸せを感じて頂けたら、私も本当に幸せだと感じる。

カウンセラーになることを決意してからたくさんのことを学んできた中からアウトプットされたものだと思っています。この先の自分の時間はこんな風に過ごしたい、そしてこんな風になりたい・ありたいと思う自分がもっとクリアに見えてきました。お世話になった産業カウンセラーの先生、養成講座の先生方、カウンセリングを勉強してきた仲間たち/先輩方に感謝感謝です。

 

相談者の方にはより多くの幸せを感じて頂きたいし、自分もより多くの幸せを感じたい。私がカウンセラーになりたかったのは、自分にとっては、この「なりたい自分」・「ありたい自分」を体現できる場だと直観したからなのだと思います。

 

あなたの「なりたい自分」は何ですか?
そう思い始めた時の経験などを振り返ってみませんか?
気付かなかった自分が見えてくるかも・・・

 

違う世界の人と会うこと、成長すること。

いつもの生活、いつもの場所。会う人なんて大体決まってます。マンネリな日常に吹く新鮮な風!今日はカウンセリングのオンライン勉強会に参加させていただきました。

全く違う職業、違う土地で時間を過ごされているカウンセリングのお仲間との時間でした。みんな違って、みんな良い。いろんな意見やお話を聞かせて頂いて、耳が肥えるなぁ、少しでも成長するなぁと感じましたね。

人にはそれぞれに生きてきた時間があって、経験があって。同じ会社でも家族でも人の数だけ自己概念はあると思うのですが、なぜでしょう・・・。いつも会わない人と話をすれば、「あ、こんなふうに感じるのか!」 とか 「えっ、そういう見方があるのか!」 とか。日常生活ではほとんど浮かんでこない思考が頭を駆け巡るのです。そしてその経験はまた、いつもの日常で自分の一部になる気がして。。。

違う世界の人と会うこと。たとえオンラインでも。
おおげさかもしれないけど、自分の人生が豊かになるような気がします。そして心がちょっぴり成長したような気分になった今日の勉強会でした。研鑽研鑽・・。

違う世界の人とふれあうチャンスに飛び込んでみてもいいかも?

充実した時間を過ごすために

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連結燃料タンクモデル


体の調子が悪いと、心の調子も悪くなる。また逆もしかりで。
僕は両方の調子がいい具合に保てている時に、いまのこの時を精一杯充実した時間にできると思っています。

 

カウンセリングの勉強の過程で色々な著書を読んでいくと、心と体は繋がっているというようなことが書いてありますが、本当にそうだなと思います。僕には医学的/心理学的に説明はできませんが、これまでのいくつもの経験から腑に落ちるし、心当たりがたくさんあります。

 

例えば最近なら、コロナで仕事の中身が変わってきたし、量も質も高いものを期待されていると感じてます・・・。前例なんてないので、自分で考えて作って提案するしかない。うまくいくかどうか不安になります。不安にかられて、飲み込まれている時は、体調がよくない。体もだるいし、とにかくひどい肩こりで。。
人には燃料タンクがフィジカル(体)とメンタル(心)の2つあって、それはどこかでつながっているように感じてます。繋がってるので、どっちか一方のタンクに穴が開いて燃料が漏れると、両方のタンクの燃料が減っていく感じ。

 

いまこの時を精一杯充実した時間にするには、心も体も元気に保つことが大切。
どちらかが調子が悪くなれば、十分に養生する(燃料補給!)。
両方とも日ごろからしっかりとメンテナンスする。そんなことを頭の隅っこにおいて今を大切に生きたいと思う今日この頃なのです。

燃料補給してますか?