マネージャーである意味
私はある工場でマネージャーをしています。私は何故マネージャーでありたいのだろう? そこにどんな意味があるのだろう・・・。あれこれの内省の後、「チームメンバーの皆さんに、たくさんの幸せを感じて頂ける人生を送って頂きたい。」ということにたどり着きました。(『チームメンバー』は『部下』のことで、私はチームメンバーと呼んでいます。)
ものすごく唐突ですが、フランクルのロゴセラピーに関する本を読んでいて、そんなことに思いが至りました。フランクルは、人間は、人生から問いかけられている存在。とされたそうです*1。最近マネージャー職に対して、少し迷っていたようにも思います。私は本当はマネージャーとしてどうありたいのだろう・・。色々思い当たるところはあったのですが、今一つ釈然としてなかったのです。そこで、ロゴセラピーの考え方を使って、「マネージャーという役割は私に何を問いかけているのだろう?」 と自分自身に問いかけて、内省してみた結果が冒頭の結論です。
ちょうど人事考課の時期で、マネージャーとしての仕事がたくさんあったこと。チームメンバーとの定期面談をする上で、よいインプットをキャリアコンサルタントの先輩に頂いたこと。自分はキャリアコンサルタントなんだから、チームメンバーにもっと何かしなければならない。。。など。これを書きながら思いましたけど、大分焦ってますね。マネージャーとしてこうあるべきだ!という思考。そうやって迷路に入ったのかもしれません。
木を見すぎて、森が見えなくなっていたようです。「チームメンバーの皆さんに、たくさんの幸せを感じて頂ける人生を送って頂きたい。」と明確に言葉で表したことはなかったのですが、これを成すことが、私がマネージャーでありたい意味だと確信しました。チームメンバーそれぞれに幸せの定義は違うでしょうから、それぞれに合った業務やキャリアのサポートをしていこうと、心に決めた月曜日でした。ちょっぴり自己概念が成長したかな・・。
何か自分に釈然としない時は、森が見えなくなっているかもしれませんね。。