自分の事なのに自分が思っているほど分かってない
昨日のブログで、「過ごす時間の『中身の質』を大事にしたいと思う自分もいる」、そんな自分の一部を「きゅーちゃん」と名付けよう・・・と書きました。
この件、頭から離れず、さらに深く内省していました。中身が無いというか、スカスカの時間を過ごしてしまうことを恐れている自分がいるように思えました。過去のブログを見返していて、私が大好きな言葉の「一瞬一生」も、「表面的」という言葉を使っている過去記事も、皆ここに繋がっているように思えました。
【表面的という言葉を使っている過去記事】
2020/11/24 「尊重する事」
2020/8/22「思いを乗せて、心を込めて、歓んで」
スカスカの時間を過ごすことを恐れている自分は何なのだろう・・・。充実していなければならない。そう感じているような気がします。
これを内省している時は胃がぐっと重くなる感じがします。大病した時のことを思い出したり、メンタル不調になった時のことを思い出したり。何か心が抵抗しているような感覚で、防衛が働いているのかもしれません。
私にとってはとても重要で大切な価値観がこの辺りに隠れているのだろうと思います。事あるごとにゆっくりと少しずつ向き合ってみたいと思います。
内省して、内省して。ブログにアウトプットしてみて。
知らない自分にたくさん出会う。今日みたいに分からない日もある。世間でも言われる通り、本当に自分の事なのに自分が思っているほど分かってないなと思いました。
行き当たりばったりの旅をしているようです。
分からないから面白いこともある!楽しみます!