Kenの研鑽~日々の内省ログ~

思いを言葉にし、知らない自分に出会う。

理屈におぼれない私であること

 

家族で近くの神社にお参りに行きました。境内に至る道筋に出店がたくさん出ています。コロナ禍において、こんな光景が見れるとは・・・。と思いテンションが上がります。子供のころから変わらない、たい焼き、たこ焼き、イカ焼き、くじ引き。昔は無かったかもと思う、カステラ、韓国料理系の出店、などなど。

 

色々な事を思い出しました。奥さんと結婚する前に夏祭りに行った時のこと。小さいころにお小遣いを握りしめて夏祭りに行ったこと。地元の祭りで同級生と遊んだ夏、花火がきれいだったこと。みんなみんなキラキラした思い出です。

 

こんな思い出を想起させる起爆剤になるのは視覚だけでなく、その場のイカ焼きやたこ焼きの「匂い」、焼きそばを焼く鉄板の「音」、行き交う人々の「熱」、子供がダダおこねる鳴き「声」・・・。五感すべてに語り掛けるその場の「空気」です。

 

私という生き物は、人であるが故に理屈で物事を捉えようします。しかし、五感すべてがその場のいろいろな何か・・・それは情報だったり、状況だったり、他者の感情だったり・・・と共にあると思います。理屈だけで物事を捉えているわけではないのです。理屈は物事を捉えるという事からいえば、ほんの一部のこと。

 

理屈というのは人間だけが使えるもので、物事を説明したり、説得したりするのに便利です。便利であるが故に、それに逃げてしまうこともあるのではないかと個人的には思います。理屈が大切であることには間違いありませんが、それにおぼれることは大切な何かを見逃すことと感じました。直感です。理屈で説明出来たら、それは本当に絶対的に正しいといえますか? 説明出来たら如何にも自分は正しいと思っていませんか? 本当にそう?? そもそも正しいって何??

 

次の6月にキャリアコンサルティング技能士2級の試験を受けます。準備をする上で合格することだけを考えて、種々のカウンセリングの練習をしていたことに気付き反省したのが2週間前。それが私の中で今も大きく残っているようです。中身が無いことをしてしまったという大きな反省があります。

 

私は何のためにキャリアコンサルティング技能士2級の試験を受けようとしているのか・・・。確かに将来のビジネスの為でもありますが、メインの目的は自分のカウンセリング技術を向上させ、相談に来られる方の未来の時間において、より多くの幸せを感じて頂くためだったのです。カウンセラーとしてカウンセリングをするというのは、相談者の方々の未来の時間の中で、より多くの幸せを感じる為のエネルギーを充填するのに役に立つ。。役に立たせてください。という強い思いがあってこそ。

 

自分が相談者として産業カウンセラーの先生にして頂いたこと。中年の危機と言われる時間を乗り越えたこと。それは、それまで信じてきた自分の真実がボロボロに枯れて砕けて、また新しい自分を構築しなおしてきた苦しい時間・・。自分の人生が今こんなにも豊かなのは、カウンセリングに出会ったから。だから今度はまだ会ったこともない誰かに、それをつないでいきたい。そんな思いがあるから、こんなに一生懸命勉強しているのだろう。試験に合格するための表面的な技術はいらない。

 

手段が目的にならないように。私は私が本当に目指したいことに向かいます。中身が無いことはいらない。そんなことを思いながら、長い参拝の列に並んだ冬休みの一日でした。