Kenの研鑽~日々の内省ログ~

思いを言葉にし、知らない自分に出会う。

優しいプロのお仕事

 

今日のバスは古いタイプ。エンジン音も昔懐かしいブルブルブルー💨っていう頑張ってる感じのバスです。

 

右側の前から3番目に座ります。運転手さんの白髪頭がまた味がある(笑)。

 

駅のロータリーに着いて、ちょっと斜めになった変な角度で停まりまして‥。

 

ちょっと失敗したのかな?と思いつつ、運転手さんに「ありがとうございました〜♪」といって降りるときに気付きました。

 

バスの降りる所が、うまい具合に歩道の上に乗り上がる感じに停まっています。バスを傷つけないように、絶妙な感じで‥。

 

お陰でバスのステップと地面の段差がほとんど無くて降りやすい。変な角度はこれをするためだったのかと。

 

なんて優しい‥。

 

ちょっと失敗したのかーとか思ってごめんなさい。。。プロのお仕事でした‥。

 

白髪頭の運転手さんの優しいプロのお仕事。感謝と感心。私もこんな仕事が出来るようになりたい!。紡ぎ出す価値は優しく思いやりのあるものでありたい‥。仕事の価値観を改めて見つめ直した月曜日の帰路でした。

 

 

あたたかいのエネルギー

 

去年11月にコンビニで買った手袋。左手の人差し指と中指がコンニチハ(笑)。

 

これはいかんな‥と思い、コンビニで手袋を買新調。安いのが売り切れだったので、前回よりは一つグレードの高いもの。勇気を出して買いました(笑)。

 

店員さんにタグを取って頂きすぐさま装着!すると、なんと手袋の内側は起毛になってまして‥‥ぜ、い、た、く‥。

 

あったかいです。普通のブルゾンとダウンジャケットくらい違います(おおげさ)。

 

あったかいって良いな〜と思いました。手袋、優しいなと。

 

コロナ禍で人と会うことが減りました。人のあたたかさを感じにくくなったよね‥。心の中でつぶやきます。「あたたかさ」を求める自分がいるように思います。寂しいんですかね。最近マリオカートを買って家族で楽しんでみたりしてるのも、そんな私の心を映しているのかも知れません。(私が一番ヘタです💦)

 

今感じられるあたたかさを最大限に吸収して、日々を生きるエネルギーにさせて頂く。家族や会社の皆さんに感謝。ブログでも、Zoomでも、Facebookでも、ラインでも、こんな私に繋がって下さっている皆さんに感謝。

 

早くいろんな人と会えるようになって、たくさんのあたたかさを感じたいなと思った、新しい手袋の朝でした。

 

変化は必然

 

通勤電車で座っていたら、席がうまったのか男性が目の前に立っていました。

 

なんとなく、あ、席を譲った方が良いかな?と思いつつ、よく見るとあまり私と年が変わらない感じの方で‥。

 

「どうぞ」と譲りそうになっていました。気分を害されますよね‥。自分と年の変わらない人に席を譲られたら‥。

 

なぜ、とっさに自分とあまり年の変わらない方に席を譲らなければと思ったのか‥。

 

いつまでも自分が若いと思ってる。いや、思いたい自分がいるのだろうと感じました。

 

もっとたくさん、色んなことをやりたいとか、もっと出来るに違いないとか、そんな事を思ってあるのだろうと思います。

 

年を重ねるのですから、身体は変わっていきます。実際、疲れやすくなったと思いますし。すごいスピードで変わっていく世の中と同じように、私の体身体も変わっているはずです。

 

私の心は‥‥。しなやかにその変化を受け入れているのだろうか‥。いつまでも若いという心は大切ですけど、意固地になっていては、最大限の「私」は発揮出来ないな〜と思いました。

 

世の中も身体も変わります。その変化を最大限に「私」に活かせる、しなやかな心の変化を。そう思いながら、電車を降りました。

 

ずっと同じままなんてない。変化は必然。。

 

「見てくれている人は、ちゃんと見てる」

 

さっきお友達とLINEしてて出てきた事。

 

私の父によく言い聞かされていました。

 

見てくれている人は、ちゃんと見てる

 

LINEする中で、クリアになったこの言葉の意味。きっと、誰も見てないところでも、真面目にやれと。そういうことかと思いました。

 

ズルしないこと。それは道徳的な事だけでなく、生き方。そんな生き方をせよと。自分に誠実に生きよと。奥の方にそんなメッセージがあると確信しました。

 

何か心の片隅にある大事な言葉をアウトプットするのは、とても大事だなと思います。アウトプットは私に「意味」を連れてくる。

 

「意味」とは繋がり。自己完結しない繋がり。何かに繋がること。自分の中にだけあった、大事な言葉がアウトプットされて、意味を持って返ってくる。

 

クリアになった言葉の意味が、私の時間の色んなものに繋がっていく。きっとそれは私の幸せの一部。そう思います。

 

私のステージ

 

ブッシュ孝子さんの詩集、「暗やみの中で一人枕をぬらす夜は」を読んでいて、ふっと思ったこと。

 

もしかしたら、私が時間の中を生きているのではなく、時間が私から生まれているのではないかと。

 

私の時間の全ては、私がどう生きるか、何を選択するか、何を大切にするか。そういうところから生まれてきた、私のステージのような気がしました。

 

私が時間に問われているのだろうと思います。どう生きるか、何を選択するか、何を大切にするか‥。そして、なりたい自分の方向へ時間が生まれ、紡ぎ出されていく。

 

自分の生きるステージは自分で作る。ただただ流されるだけでなく、主体性をもって生きたいと思う自分がいて、こんなことを思い浮かべてしまうのだろうと思います。

 

やる事が沢山あると、ついつい流されてしまいます。そんな自分があまり好きでないのかな‥。

 

気張りすぎずに、紡ぎ出していきたい私の時間、私のステージ。。。

 

異次元の別世界で。

 

長い新幹線のホームに一人だけ。ぽつん。エレベーターの前で立ち止まらないでと訴える機械の声だけが響きます。

 

なんだか異次元の別世界に投げ込まれたようで、少し怖いというか、不安というか‥。

 

なんで、別世界に投げ込まれたような感じがするのだろう‥?

 

無機質な独特の駅の雰囲気‥?

 

違うようです。たぶん人が自分以外誰もいないから。

 

少し怖くて、不安なのは‥?

 

この世界には人が誰もいないような感覚に囚われている感じ。小さい頃に読んだ「おしいれのぼうけん」という絵本の黒とオレンジの世界が、わーっと頭に広がります。

 

怖くて不安なのは、人との繋がりが無くなってしまうかも‥というところから。

 

たぶん長いコロナ禍の今の生活で、繋がりを失ってしまうかもという不安。

 

このあたりかと。

 

今ある直接のつながりも、オンラインのつながりも、みんな大切に生きたいと思った、新幹線通勤の帰り道でした。

 

ブリのお頭

 

週末のお買い物でスーパーへ。お刺身コーナーにブリのお頭がディスプレイされていました。

 

私は何故かギュと胸をしぼられたような感覚を覚えました。

 

別の何かの命を頂いて日々を生きているんだなぁと思います。感謝感謝です。生きることの尊さが心にしみた様な気がしました。

 

ブリのお頭を見て、美味しそうとか、グロテスク〜とか、そんな事ではなく、なぜギュと胸をしぼられたのか‥。内省‥。

 

 

「感謝する」という観点よりは、「生きる」の方のような‥

 

心当たりは‥‥長引くコロナ禍、最近読んだ、フランクルの夜と霧、そして、刀根 健さんの著書「僕は、死なない」、ブッシュ孝子さんの詩集。お二人ともガンをご経験された。

 

生きることについて、無意識に何かを感じ直していたのかも知れません。心の中で何かを再構築していこうとしている自分がいるようにも思えます。

 

思いとか、考え方とか、そんなものが変わっていく転機なのかもしれないです。最近ちょっと心がしんどいなと感じるのは、2週間もあった在宅勤務や、たくさんある仕事からのプレッシャーだけでなく、こんな事もあるのかも‥。もしかしたら、こっちがメインだったり‥。

 

どんな風な心の変化が起こっているのかよく分かりません。だからとりあえず、ジタバタしながら、毎日を大切に生きます。