Kenの研鑽~日々の内省ログ~

思いを言葉にし、知らない自分に出会う。

誠実に丁寧に

 

物事がなかなか進まない。

 

進めては戻り、進めては戻り。すぐ進めてすぐアウトプット出来たら良いのに。

 

アウトプット出来ない自分に辛さを感じている。そんな心のご機嫌。多分もう二週間くらいに続いている。

 

何がそこにいるのか覗いてみた。この二週間、心のご機嫌を覗こうと思えば除けたはず。見たくない自分がいそうな気がした。

 

思い切って覗く…長い心の会話の中。かいつまんでこんなふう。

 

予定通りアウトプット出来ない自分はダメ。期待されるものは期待通りに出して当たり前。あてにされたい自分、頼りにされたい自分。

 

どうなりたい? →思い通りに物事を進められて、頼られる人。

 

ロールモデルとして、たとえば周りにどんな人がいる?→たくさんいる…。いや、みんな悩んでる…。そんな人いないかも。出来たら神様かも。

 

思い通りに出来る人は神様だという視点から自分を眺めたらどう見える?→無い物ねだりな自分だ。神様にはなれない。

 

ならば今、僕がやりたいことは…

 

神様の方向に向かって、着実に一つ一つ丁寧に誠実に進めていく事。今この瞬間を丁寧に生きること。

 

すぐアウトプットしたいを一つ一つ丁寧にに変換して。

 

そういうことかな…

 

無い物ねだりじゃしょうがないじゃん。誠実に丁寧に生きよう!

 

自己効力感、上がってきた!!!

 

 

 

 

 

 

 

命のつながり

 

ねぇ、命のつながりってなんだろう?


太古の昔から脈々とつながる命。
つながる命のチェーンの一部?僕って?


それ、多分ちがってて。
自分の人生を全力で全うする事が自動的に命を繋いでるんだと思う。


僕は命を繋ぐためにここにいるんじゃなくて。


僕が僕の命を全うする事が命を繋ぐ。


それが僕の人生が僕に期待している事なんじゃないかと思う。

 


僕は今、生きている。

管理職の憂い「鶴の一声」

 

上司の「鶴の一声」ってありますよね。

 

会社には色々な事情があって、現場の都合や思いもわかって、でも今必要だからって言うのはわかるんです。

 

でも、そうじゃない事が垣間見える時がある。同じ仕事をする別部署の人がいる。僕は同志だと思ってる。その人たちがしんどい思いをしそうなら、全力でサポートする。

 

上の立場の方々。会社の都合があるのは理解します。しかし、キチンと背景を説明して、現場の思いを汲んでください。現場の人々の大変さを感じてください。あなた自身が現場に来てください。あなたの都合を叶えるために頑張ってるメンバーを見てください。頑張りを見てください。

 

組織のために働く人は少ないと思いますよ…。

 

信じられる上司でないなら…一人一人から最高のパフォーマンスは得られないと思います。

 

時代は個人。成果主義と同じタイミングでやってきたんです。個人の時代が。あなたの鶴の一声が通用しない時代です。

 

役職という「よろい」はもう剥がされたのですよ。お気付きですか? 「お前の代わりはいくらでもいる」の時代は「あんたみたいな上司の代わりはいくらでもいる」に変わったのです。本当は気づいてるでしょう?

 

僕は上司の立場として、いつもそう自分自身を戒めています。

 

世の管理職の皆さん、我々の腕が試される時代です。自分の信じるリーダーシップスタイルで頑張っていきましょう。

 

我々は今、試されていると思います。

 

「いつも通り」は困った呪文

 

「いつも通り」っていうのは、悪い言葉じゃないと思うんですが、僕にとっては困った呪文だなと。

 

僕にとってはこれって、出来て当たり前の話になっていて、出来なかったら減点なんですよね。いつも出来てるんだから…いつも通りなら…みたいな。

 

僕は自分で勝手に基準を作って、勝手に減点して、グルグルとネガティブのらせん階段を降りていく…。いつも通りという基準。

 

いつも通り。 尊いアウトプットは毎回毎回頑張って出してるんだと思うんです。それを「当たり前」「出来て当然」にしてしまう呪文…。

 

僕はよくこれにコレにハマって苦しんでいます。心当たりがいっぱい…。

 

次にいつも通りとか、いつもなら…と頭に浮かんで苦しくなったら…

 

おー!来たな「いつも星人」!と声をかけよう。仲良くしようよ〜、僕の手を引いてらせん階段降りるんじゃなくて〜、一緒に楽しくハイボール飲もうよ〜!

 

楽しい飲み仲間になれるように。わかり合おう!「いつも星人」さん🎵

 

そこにあるスキル

 

奥さんが実家で用事を済ませるため、数日家を空けていました。あいかわらず僕が洗濯すると、洗濯後のアウトプットは奥さんのそれと同じようにならない。娘によると「無臭…」。どうも最近奥さんは洗濯が終わった時に、なにやら魔法のスプレーを洗濯物にシュッシュとしているらしい。

 

最近、その魔法を始めたようなんです。。。

 

娘は知っていたけど、僕は気付かなかった。

 

僕は洗濯をしてもらう事が当たり前だと思っていないだろうか。。。

 

世の中の技術、仕事、スキル…みんな日進月歩で進化していく。洗濯も。

 

僕は自分の目の前のことだけにフォーカスするあまり、家庭の時間の流れの中にある色々を疎かにしてきたのではないだろうか…。完全に乗り遅れている。僕は同じ時間の中にいないのでは?

 

 

洗濯物一つで?

 

と思われる方もいらっしゃるかもしれません。でも僕にとっては、これは衝撃です。

 

今、ソファーに座って娘と一緒にドラマを見る奥さんをダイニングテーブルから眺めて…

 

幸せも感じながら、ヤバイ…。と思っている自分がいます。家庭は僕のベースです。家庭なくして僕は成り立たないのです。

 

 

洗濯をパートナーにお任せしている皆さま…

 

あなたが朝、普通にタンスから取り出して着る服は、技術と経験で創造されたアウトプットですよ。同じ仕上がりにはそう簡単にならないと思います。

 

奥さんが家を開ける度に思います。

 

一緒にいてくれてありがとう…。

 

僕は「もっと自分が生み出す時間を大切にしたい」。そう思った在宅ワーク終わりの金曜日の夕方でした。

 

表面だけツルツルする人生は嫌だ。

 

僕は目を開く筋肉が少々弱く、左目は完全に開きません。出産時に何か問題があったと聞いています。今50半ば、社会人になってからは特に生活に支障はなく困ってはないです。

 

でも、母はずっと気にしてるようでした。

 

強く僕の記憶に残ること…

 

夏休みの帰省が終わって大学に戻る朝に、人に目のことを言われたことを、なんとなく母に話したんです。僕自身はあまり気にしてなかったので。

 

母は涙を流していました。

 

僕は激しく後悔しました。話さなければよかったと…。たぶん人生で一番辛い瞬間でした。

 

その時は、母は責任を感じているのもしれないなと思っていました。

 

 

今子育てが終わって感じること…

 

そんなシンプルじゃないなと。あの涙の後ろにあるのは、巨大なる親としての思い。責任も感じるし、子供の将来、幸せになれるのかという不安、言われた時に僕が感じたであろう悔しさ/悲しさの想像…たぶん、はち切れんばかりの気が狂いそうになるような思考やイメージが母の中にあったのだろう…。

 

とても今その時のことを母に聞くことはできないです。僕が辛すぎて…。

 

カウンセラーとしてクライエントさんに共感するということの真の難しさを思い知ります…。

 

だからこそ、全力でクライエントさんに向き合うこと。これが僕のカウンセリングの根底にある事と思いました。

 

どんな仕事にだって技術は必要です。でも技術は何か成し遂げたいことのためにある。数値目標を達成したり、試験に合格するためのものではないと再認識した土曜日のお休みタイムです…。

 

表面だけツルツルする人生は嫌だ…。意味のあるキャリアを。

 

感謝を伝えるタイミング

 

感謝を伝えるタイミング。きっと感謝の心が自分の中で最高潮になってる時がベストかな。たぶんそれは、何かの行動を誰かが起こしてくれた「その時」。

 

一番感謝の思いが強い時かな。その時に伝えるのが一番伝わる気がする。

 

今日、そんな事を思う体験をして。

 

感謝は「その時」に伝えるのが良いなと。本当に「なまもの」でフレッシュなのが良いのかなと思いました。 

 

この体験についてきた感情は…

 

素直な自分が好きだ。ストレートな自分を積極的に受け入れたい自分だな…という感じです。

 

色々自分を守りたいこともあるし、人からよく思われたい事もあるし、プライドとか、欲とか、見栄とか、いろいろあるけど…

 

そういうのを全部取っ払って、素直にその時に言える…


ありがとう


いつもそうでありたいと思います。なかなかそうもいかんのですけどね(笑)

 

なりたい自分の一部分。