全部ほんとうの一つ
本の宣伝メールの中に「ほんとうの自分に‥」というフレーズの入った本が目につきました。
ほんとうの自分ってなんだろう?
ウソの自分があるの?
ウソの自分で生きるっていうのは違う!ということ?ほんとうの自分だけで生きたいっていうこと?
もし、「ウソの自分」を「自分の自己概念や価値観をいつも抑えながら生きている自分」とするなら、やっぱりそれも、ほんとうの自分じゃないかな?抑えると決めているのは自分だから。でも抑えてるから苦しい。それはそう思う。苦しんでいるのもやっぱり自分。
実は全部ほんとうの自分じゃないかな?自分の中にある自分を抑えたい自分も含めて。そんな自分も自分の中にいてくれるんだから、そんな思いも無いことにしたくない。
結局、全部ある。自分は、ほんとうとウソの二つじゃなくて、全部ほんとうの一つ。
一つだけでいいじゃない‥。
全部ほんとうで。
いい意味で飾ることが少なくなった自分がいるような気がしました。年とったのかな〜(笑)
19才の僕へ
YouTubeを見てたら、日常のしがらみをかなぐり捨てるには、ブルーな気分の残っていない何処かへ行くのが一番。で、鳥取旅行に来たと。
おっしゃる事ごもっとも。と思いつつ、昔々の思い出が蘇って来ました。
予備校の一年が終わった3月、一人で旅行に行きたくなりました。選んだ場所が鳥取砂丘。砂丘に行きたいと思い立ったのです。
鳥取砂丘の日本海が見渡せる所にポツリ。体育座りで、心地よい風に吹かれながら、砂と空と海と流れない時間に身を委ねました。
なぜ、鳥取砂丘だったのか‥そんな事は考えたこともありませんでした。今思うと、一人で旅が出来るのだと、両親に自慢したかったのか‥。自分は大人だと誇示したかったのか‥。
いや多分、大人になるのが怖かった。何か踏ん切りが欲しかった。そんな気がします。自分にとっての儀式だったのかも知れません。砂丘のラクダに背中を押して欲しかったのか?(笑)
50も半ばになれば、そろそろ次の転機が来るのかな‥。転機が来たなら、また鳥取砂丘に行こう。今なら分かる。転機が来たら、そのタイミングが来たら、僕だけの儀式が必要なんだと。この先も何度もやって来る転機。何度でも泥臭く乗り越えてみせる。
たくさんの経験を経て、あの時よりも僕は自分の人生に対して、賢く強くなった。そう思える自分がいます。この先も予期しない転機が幾つもやって来るでしょう。今の僕はそれを自分のものとして、受け止められる。
19才の僕へ。
50半ばの君は、君よりも随分賢く強くなってるよ。だから今その一瞬を全力で生きなさい。大人になった僕を信じて!
顔をのぞかせた「知らない なりたい自分」
不思議なことがありました。
帰りの電車でぼんやりしていると、大きな会社の最寄駅で、ピカピカのスーツを着た集団が乗車しました。きっと、入社したばかりの新社会人の皆さんかなーとか、散髪をしたばかりのような、シャキッとした髪型だなーとか、そんなことを思いながら見てました。
今日のトレーニングが〜‥‥。グループが変わって〜‥‥。明日の健康診断が〜‥‥。色んな声が聞こえてきます。
ここで私は、直感的にこれは将来の自分の姿だと思ったのです。自分が社会人になった時の事を思い出すのではなく。。。
何故、将来の自分だと思ったのか‥。電車を降りるまでずっと心の中を探ってましたが、分からぬままでした。
私の中にどんななりたい自分が眠っているんだろう? これはきっとその一部が顔を出したに違いない。何か掴みたいものがあるんでしょう。きっと。
今の私は、まだその姿を知るには準備が足らないのかな‥
お腹空きました。。帰って晩ごはん食べて、ぐっすり寝て、明日もジタバタしよう。ジタバタの先にきっと新しい何かが見えると信じて。
チキンラーメンの思い出
先週チキンラーメンをバリバリとそのまま食べられるものをテレビで見ました。とても食べたくて、奥さんにあれが食べたいなーと話してました。あっちこっちスーパーに行って見るんですけど中々出会えませんでした。
しかし、今日奥さんと娘が見つけてきてくれました❗️何と100円均一にあったと‥。
私は今日買い物には一緒についていかず、日曜日の夕方17:00から親友のハイボールと語らっておりました(笑)。
奥さんが買い物から帰ってくるなり、あったよーと。
私が小学生の頃、お湯を入れて作る本当のチキンラーメンを私が生でかじっていて、それを見て母が笑ってたのを思い出すのです。切り取られた幸せの瞬間が、私の頭の中に焼き付いています。
この思い出があるから、今回のそのまま食べられるチキンラーメンが食べたくなったのだろうと思います。
両親や祖母には、私が成人するまで守ってもらって、社会にリリースしてもらったという事だなと感じました。自分の子供たちが社会人になって、ようやくそれが現実的な事として理解出来てきたように思います。
今頃気づくなんて‥。
これが命が繋がるということか‥。私はこの素敵な繋がりの中に参加させてもらえたのかと。何十年も経ってようやく分かる、知らず知らず受け取ってきた価値。奇跡というか、感謝しかないです。
この繋がりに感謝しつつ、その繋がりの中に存在できる自分が嬉しくもあり、後世に繋ぐ責任を感じるところもありで。
繋がりに感謝できる自分がいる事に気付いた、日曜日の夕方でした。
今出来ること
日曜日の夕方に桜が綺麗な川沿いをジョギングしました。満開の桜は本当に綺麗です。心地よい風とひらひらと舞う花びらが私に伴走してくれます。
幸せだな〜。
わんこをお散歩するお父さん、
ストローラーを押すお母さん
気持ちよさそうに昼寝する赤ちゃん、
腰掛けてコーヒーをすするご夫婦、
ストレッチしてるお兄さん、
ゆったりとした時間がそこに流れていました。
感じるこの幸せは、ここにいる皆さんが紡ぎ出した価値が、回り回って私のところにきたんだろうなと。
赤ちゃんが何の価値を生み出すかって?
それはもう、すごいもんです。世のお父さん、お母さんの働く元気の源だったり、病気のおじいちゃんの生きる力になったり。
人一人が存在する事で紡ぎ出す価値はすごいものだと思います。私はその価値をありがたく受け取って、生かされている。
いただく価値で生かされる事に感謝感謝です。だから私も出来るだけのことをしよう。どれだけの価値を生み出せるかわからないけど。凄いことじゃなくていい。今出来ること。。
自己概念の芽
バスの車窓から公園の桜が見えます。
毎年一週間だけの特別な時間。
桜を見て思い出すこと。
前にブログに書いたかもしれませんが、小学校の卒業式でお世話になった先生と、桜の花が咲く校門で握手をしたこと。大きくて優しくて温かい手。優しさと強さと厳しさを教えて頂いたと思います。
ありがちな言葉かも知れませんが、先生の生徒への関わりには「魂」が感じられた気がします。今思えば‥。
安心で、楽しくて、平和な小学校生活だった‥。
ぼーっと桜を眺めながら思い当たります。これは多分、私の理想のマネージャー像。自己概念の種はこんなに昔に芽を出したのか‥。
きっと今の私は、あの時の先生と同じくらいの年齢。先生の足元にも及ばんな‥(笑)。色々上手く行かなくても、頑張って紡ぎ出した価値を受け取ってもらえない人がいても、でも、でも、目指す所はそのあたり。。コツコツ行きます。。
自分だけの「きれいごと」を信じて。きれいごと。言わなくなったら、どこに向かうのさ? 現実も見ながら、思うままに。
心の引き出し
たくさん仕事がある時は、追加の新しい案件が舞い込んできますし、そんな時はプライベートでも色々な事が発生したりします。
今それくる? イマソレクル‥‥T_T 🌀
今までも何度かこんな事をブログに書いてきましたが、今回のはかなり厳しいものでした。フィジカルにもメンタルにも。
やっと今日、正気に戻ってきました。私のお友達の言葉を借りれば、いっとき人の形をしてなかったかもしれません(笑)
随分前にメンタル不調になった時も似たような感じがありました。今回は前回ほど厳しくは無いですが‥。
でも、今回は一つだけ、進歩したところがあったのです。それは、
「助けてください」
と言えた事。前回は言えなかったんです。そして行き着くところまで行ってしまった‥。
助けてというのに勇気がいりましたけどね。でも言えた。そんな自分が嬉しくもあり、誇らしくもあり。まだ厳しいところを完全に抜けたわけではないので、気は抜けないなと思ったり‥。
心の中に作ったつもりだった新しい引き出しは、必要な時にキチンと開けて、有効に使うことが出来ました。
勉強してきた事も経験も、心の引き出しに入れて、すぐに使える様にしまっておく。いつも出来るわけでは無いかもしれませんが、そんな風でありたいと思う、綺麗な青空の火曜日でした。