Kenの研鑽~日々の内省ログ~

思いを言葉にし、知らない自分に出会う。

ゆるすということ

7/17のブログで怒りについて書きました(7/17のブログ『怒り』 ご参照を)。「会社でのチャットでのやり取りに手が震えるほどの怒りを覚えた。でも後から振り返ると、そんなに怒りを感じるほどのものか? なぜそんな怒りを感じたのだろう?」 というようなお話でした。ブログに頂いたコメントをきっかけにして(ありがとうございます!)、色々調べ、内省しました。 結果、相手に自分の大事にしている価値観に沿った言動を期待しているが、そうなっていない。これは自分の価値観を人に押し付けているのではないか? という所まで思いが至りました。

 

しかし、何かスッキリしないのです。いつもモノの見方が一面的なので、大きく見方を変えて、「怒り」から「ゆるす」に変えてアプローチしてみることにしました。「ゆるす」はネット上の宣伝でふと目についたワードでした。ネットや本を読んでいくと、「過去の怒り→絶対ゆるせない、一生許さない。」 が自分を苦しめているとあります。。。そういえば、過去にあったのです。今回の怒りの背景にあったのは、過去の怒りと共に苦しんだ経験であり、特定の組織と個人に対して許せない気持ちがずっと続いていることだと気づきました。私はこれに知らず知らず苦しんでいるようです。

 

その経験の一部で、「そんなのは緩い(ゆるい)んだ、家庭がどうあろうと現場が最優先だろうが!」と言われたのを鮮明に覚えています。今回も「ゆるい」というワードがあり、この背景があって「ゆるい」に反応したと思います。。。


過去に彼らが私や当時の仲間達にした人格を否定する行為を、正しいと認めるわけではありません。しかし自分がそれにとらわれて、今も苦しい思いをしているのは、また全然違う話なのではないか。「ゆるし」とは過去の傷を喜んで手放す*1。とありました。私も過去のとらわれを手放そうと思います。

 

ここまで来て、やっとスッキリしました。スッキリした気分で、近くにいる大切な人、遠くにいる大切な人、みんなと存分に今のこの一瞬の時間を感謝と共に楽しみたいと思います。自分をゆるすことは、幸せを感じることへの入り口なのかな~と今回の内省で思いました。

 

ゆるせないこと、ありますか? 手放してみるとプラスアルファの良い事あるかもしませんね。

 

*1:ジェラルド・G・ジャンポルスキー, (2000). ゆるすということ, 株式会社サンマーク出版