Kenの研鑽~日々の内省ログ~

思いを言葉にし、知らない自分に出会う。

思いを乗せて、心を込めて、歓んで。

仕事をしていると、時間があると感じるときと、全然無い!と感じるときがあります。「効率的に時間を使えてれば、そこには時間が生み出されるはずなのに・・・。何でできないんだー!」 とついつい思いがちで、色々効率化を考えるのですが、効率化のし過ぎもよくないかなと思いました。今一瞬を集中して生きているようで、そうでないように感じたのです。

 

「時間」というワードで思い出したのがモモという本です。久しぶりにまた読み直してみました。この本は、人の心の中にある時間、人が自分らしく時間を過ごす=生きるとは何なのか? と問うているように感じています。中にこんな一節があります。

 

 人間 は ひとりひとり が それぞれ じぶん の 時間 を もっている。 そして この時間は、 ほんとうに じぶん のものであるあいだだけ、 生きた時間 で いれるのだよ。

 

ミヒャエル・エンデ; 大島 かおり. モモ (岩波少年文庫) (Kindle の位置No.6862-6863). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

 

 「本当に自分のものである間だけ」ってどういうことだろう。内省していると、苦しい時にお世話になった産業カウンセラーの先生の言葉を思い出しました。

 

「心が歓ぶことをしましょう」

 

そうか・・心が歓んでいる時間、これが本当の自分の時間か。心が歓ばないことをして効率化に励んでも、それは表面的に取りつくろったアウトプットになるのかもしれない。確かに仕事としては出来たように見えるけれども、本当にそれでいいのか・・。これが、効率化のし過ぎもよくないと思った理由と思います。自分の好きな言葉でもある「一瞬一生」ではない時間になっているように思えて。(7/21ブログ 「一瞬一生」ご参照を)

 

社会で生きて行く中では、表面的に取りつくろっている時間もあるのだと思います。だけど、ものすごくちっぽけでも、自分の思いを乗せて、心を込めて、自分に出来る価値を創造し、誰かのお役に立ちたい。ちょっぴりでも。私とっては「自分の思いを乗せて、心を込めて」の所が、心が歓ぶということの一部かなと・・そう思いつつ、金曜日の仕事のアウトプットを見直したくなってます・・。

 

心が歓ぶこと。どんなことですか?